現代対面人狼のメタゲームについて

今回語るメタとは、人物特有の癖などに注釈したメタではない。

進行や考え方の流行や現在主流の戦略論などについてである。

 

昔常識とされていた戦略や考察などが、時代とともに移り変わり全く使えない代物に成り下がっているということは実際良くある。が、その当時の教材はそのまま残っていたりするし、強PLと呼ばれるような人間たちも時代の変化についていけずに時代遅れの考え方を布教し続けていたりする。

 

何より重要なのは、自分の頭で考え続けることだ。この進行はどういうメリットがあり、どういうデメリットがあるのか。この思考は一般的に良く聞くが考え方として果たして本当に正しいのか。

大多数の他者に流されてはいけない。

人狼ゲーム中の思考停止が悪だということはplであれば誰しもが知っているはずで、であればこそ人狼ゲーム外の戦略考察でも思考停止をしてはいけない。

自身で反芻することによってのみ上達への道は開けると信じる。

 

いくつかの例を出す。これはあくまでも俺個人の考えを述べる物であり、人それぞれ解釈はまた違うだろう。が、そんなことはどうだって良い。

この記事で伝えたいことは、自分の頭で考えることの重要性であって、俺個人の考えではないからである。

 

 

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【言っていることが変だから人外】

 

正しく人外要素(白透け、黒透け、視点漏れ等)をとらえた「言っていることが変」についてはここでは触れない。ここで触れるのは、文章構成や揚げ足取りのレベルでこの言葉を乱用して人を殴っているPLに向けたものだ。

これは旧石器時代から使われている言葉だ。かつて一世を風靡し、実際に今も良く聞くし、一定数支持を集め続けている言葉でもある。この言葉の恐ろしい所は汎用性の高さだ。使っている側も使うことによる弊害に気づきにくい。

これがメタになった世界とは、文章構成力が低い人間が文章構成力の高い人間に殴られ続ける世界だ。経費を経費と断じて殺し、縄余裕の全ては初心者、議論弱者に使われることになるだろう。

これに対する自分で考えた回答は、なぜ変なのか。まで注釈をつけて考えることだ。一般にトレース人狼と言われるようなものだが、例を出す。

 

C「Aさんが人狼だと思いますが、Aさんを吊りたくないと言ってるBさんは白いと思います」

このCさんの文章、普通に読むと変だ。人狼を吊りたくないと言っているBさんが白いというのは成り立たないからだ。ここで深掘るべきは無論Bが白い理由であるが、それ以前に考えるべきことは、この発言の人外利パターンである。

 

A、B両村、C人狼のパターン。

Aに黒塗りをしてA非吊りをあげているBを白上げした場合、注目が向くのはAというよりは自分になる。つまりAに対する行動は黒塗りではなさそうだ。明らかに理論としても受け入れられなさそうで自分に注目を集める意図は何か。人狼利という観点で見た時の目的が見えない。

 

A村、B人狼、C人狼のパターン

Aの票回収を試みているBと逆行動をとり間接的なライン切りを行っている可能性。

確かになくはなさそうだ。であれば、このパターンのケアをするのであれば、BCの関係値、BCの単体精査、BがCに対してどのようなリアクションをとるかの観察が必要そうである。

 

A人狼、B村、C人狼のパターン

Aとラインを切りつつAの評価を上げる村とラインを繋ぐ。これは人狼利という観点で見た時に薄そうである。

 

ABC全狼のパターン

他に視点を向ければ良いだけだし、繋いでいる相方同士に亀裂を相方が入れる構図は人狼心理的にも薄そうである。

 

 

上記の全パターン計算したときに、BC両狼の場合はC狼はありそうだが、他パターンはC狼は薄そうではないだろうか。ということは、Cが村で、本当にAを怪しく、Bを白く考えた可能性が高いのではないかと解釈できたりする。(もちろん単純計算図式なので穴だらけなのは認めるが、一例なのでご勘弁を。)

 

変なことを言っているだけでは要素としては不十分だ。推理の結果として変なことを言う村も多数存在するからだ。その前後の因果関係が重要であり、その人物の目線が詰まっていたり、動揺がとれたりするときは発言違和から人外を拾えることはあるだろう。

つまり総評して、【変なことを言っているから人外】 ではなく、【変なことを言ってしまうほど心理的に追い込まれている人外もいる】

が言葉として正しいのではないだろうか。

 

変なことを言っている人間を殺すゲームではない。変なことを言うのは人狼特有の要素ではないのだ。ただの文章構成力、心理状態の差異に過ぎないし、ほぼ正論しか言わない熟達した人狼も数多くいる。

普遍的な人外要素とは行動原理として村を殺す必要があるが故の歪みであり、上記の論はその中の薄い薄い一要素に過ぎない。

 

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【最終日を目指すゲーム】

 

誰が言い始めたのかは分からないが、これは現在でも非常に数多くのPLに浸透している考え方である。だが、自分ははっきりいって現代対面人狼にとっては時代遅れの考え方であると思っている。

最終日を目指す進行とは、いうなれば安定進行切符だ。AとBのどちらかに人狼がいそうだと思ったら、そこの発言を考慮せずロラ縄で使いどのような組み合わせの狼構成であったとしても最終日を迎えられるような構成の吊り順を考えることだ。

これが台頭したのは恐らく進行遵守型PLが多いネット人狼の環境だ。

これと現代対面人狼の環境を比較した時に、決定的な差異がどこかというと、

 

①.単体精査型PLの数

②.潜伏狂人の数

③.襲撃の高度化

 

の3つだ。順番に紐解いていくが、その前に一つ重要な考え方を述べておく。

このゲームは、ゲーム終盤に近付くにつれて基本的に人狼が有利になるゲームだ。

なぜか。縄余裕と必要票数が減っていくからだ。

5人日1狼だとすると、縄余裕は1で必要獲得村票数は2票だ。だが、3人最終日は縄余裕は0で負けないための必要獲得村票数はたった1票だ。

そして、襲撃権は人狼にある。

このことを踏まえた上で、123の解説に移る。

 

①.単体精査型PLの数

 

まずそもそも、ネット人狼と比較すると対面人狼は情報量が非常に多い。

表情、言動、所作、視線、感情など発言以外にも考慮できる外的要素が大量にある。

 

この対面ならではの要素をもとに、単体精査にかなり比重を重く置いたPLの数が多い。このことから、かなり早い段階から高い精度で個人の精査が進んでいく傾向が強く、ネット人狼ほど進行に頼る必要がない側面が強い。

 

②.潜伏狂人の数

 

対面だと情報量が非常に多いことは話した通りだが、それは狂人視点も同様である。狂人視点での狼位置も情報量が多い分非常に透けやすく、それ故に潜伏狂人という選択をとるPLの数はネット人狼と比較して相当多いと感じる。これによる弊害は、縄数の誤認だ。最終日を見据えていた場合、それに対して使える縄を使っていった場合にLW候補地に手をつける前に勝敗が決してしまったりする。全体的な潜狂自体のスキルレベルもかなり高くなってきている傾向にあり、占い吸ってる、白位置に入ってるパターンもかなり多い。最終日を目指していたら潜狂によって負けましたは非常に多く見かける負けパターンだ。

 

③.襲撃の高度化

 

襲撃がネット人狼と比較してより高度に人読みが可能であること。役抜きなどはもちろんであるが、人の思考の裏側を読んだり、襲撃による議論展開を読んだりする襲撃を使える狼の数が増えている。襲撃が高度になればなるほど、襲撃回数の分不利になっていくという図式は成立する。

 

 

①②③解説が終わったところで総評していくがまず第一に言えることは、なぜ単体精査を唐突にやめてしまうのか。

①の理由で対面人狼民の単体精査能力はかなり高いものがあると考えている。

ところが、初日2日目と単体精査に重きを置いたPLが、狼が1.2吊れて確白が増えて盤面が煮詰まると途端に安定進行だと言い最終日を見据え始める。これが非常に大きな弊害であり、村勝率を落としている要因であると自分は思っている。

AとBのどちらかに人狼がいそうであれば、最大限までそこの単体精査を行うべきで、人狼が濃いが縄が遠い位置がいるなら整地する以前に勝負をかけるべきなのだ。

なぜか、②の理由で潜狂が多いからだ。最終日が来る保証などどこにも無い。そして、③の理由で襲撃が多くなれば狼が有利になっていくからだ。

 

現代人狼は環境により狼早吊りゲーであると自分は解釈している。決め打ちの情報はなるべく少なく質を高く。全体人数が減れば減るほど間違っていても良い票数は減っていくのだ。考える時間をとって決め打ちを後半に持っていった時に、思考時間を村が多く取れるのと同様に狼が白ログを作る時間も増える。後半になると精度が上がるのは村という図式は現環境では成立しない。

本当に情報、思考時間が足りていないのであれば少しばかり遅延するのも良いだろう。だがしかし、可能な限り急ぎチャンスを逃さないことも大事である。決め打ち日、勝負の日、最終日に生存しているとは限らない

 

以上、①②③の理由により最終日を目指す人狼は、自分の考えでは弱いと思ったがいかがだろうか。村戦力が多いうちに勝負をかける人狼を模索することが自分の現段階の結論である。

 

 

 

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【貫通】

 

言うまでもなく、指定、投票をもらった後の役職回避coを貫通するか否かだ。

賛否は別れるだろうが、自分は対面人狼の場においては割と有だと思っている。

役職回避COに対する貫通のメリットは主に

 

1.真役保護

2.村保護

3.単純に人外数を減らせる

 

デメリットは

 

1.グレーの色見枚数が減る

2.議論が荒れる

3.ライン切りの区別は付きづらくなる

 

 

捉え方次第なのだが、その人物の人外に確信があったとして、その人物が役回避coをせず死んだとしたらどうだろうか。

結果は人外が一人沈む

これが役回避して貫通した場合、人外が一人沈む

上記2つは変わらないのだ。

ではグレーに行った場合どうなるかというと、正体不明の誰かが沈む。

捉え方にもよると思うが、自分はグレーの色見よりも優先して確定人外を落としてしまっても良いと思うのだ。これは1dから高い精度で単体精査が進みやすい対面ならではの論ともいえるかもしれないが、1d時点で100%真を切れる役職自称者は少なからず存在する。

グレーの占い位置を減らす等のメリットをあげる人物もいるが、グレー吊りに流れることでグレーの非役、他役がめくれてしまう可能性を考慮するとむしろそちらのデメリットのほうが大きいのではないかと自分は考えている。狼視点ではグレーの非役が1枚、2枚透けるだけでもかなり大きい情報となるため、安易にグレー吊りを向けることは人外利のほうが強そうだ。自分は、どう見ても偽の回避COは初日人外が人外COしただけだと捉えて普通に貫通している。もちろん真切りを強く主張した上でだ。ライン切りは繰り返しになるが初日に考えるべきことではないと捉えている。

スキルや自信にもよるだろうが、多分自分は今後も対面人狼では一定の頻度で貫通進行をとることをやめないと思う。

 

 

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【霊ロラ】

 

旧石器時代から議論されてきた問題だが、ここでは自分の考えを述べるに留める。

基本的には1人1殺を達成すれば人外は人外利な行動をしたと言えるので、霊ロラは基本的に人外利である。自分は決め打ちが可能であればそれに越したことはないという考えだが、ここで問題になるのは霊ロラ派閥の存在だ。

脳死霊ロラ派閥というのは一定数存在しており、「絶対ロラ!」「ロラしないなんて怪しい!!」などと考え方の違いですら人外塗りをしてくる層もいる。

このゲームは決め打ちの連続のゲームだ。グレーから村狼を決め打ち処刑し、占い師の真贋を決め打ち、騎士の真贋を決め打ち、最終日にまたグレーを決め打つ。ロラする状況もあるが、基本は決め打つ。そんな中、霊媒だけはなぜかロラしないと気が済まない宗派が一定数存在するのだ。

恐らくは、霊決め打ちで手痛い敗北をした過去があるのだろう。だが、それは霊決め打ちが印象に残りやすいから覚えているだけではないか、他の対象を決め打って負けた試合は無かったのだろうか。

 

自分が言いたいことは、霊媒も精査可能な対象であるということだ。発言以外にも霊結果の差分、タイミングによっても精査は可能だ。どうしても精査が難しければロラしても良いとも思う。だが、精査できそうな真贋が偏っている村でさえ、ロラをずっと推すのは人外利な思考に寄っていると思う。

この考え方が周知されないと、絶対ロラ派は消えないだろう。自分は霊媒が2枚出たら大体初手で、「絶対霊ロラしたい人挙手してください」と促し、4.5人以上出たらもうめんどくさくなって抗うのをやめている。これは一人一人の意識の問題であり、霊決め打ちで勝てる試合は複数あるはずだ。

自分はチャンスがあると思ったら決め打つ思考を変えないし、絶対ロラ派は一度ここで述べたことをもとに陣営利について考えてみてほしいと思う。

 

 

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ここまで述べてきたことは、自分の独自思想強めであるし見ている人にとっては不快になり反論したいような内容もあっただろう。だが、それ自体は喜ばしいことだと自分は思っている。

違う考え方があってそれがぶつかり合うから議論が活性化するし、人狼ゲームは楽しい。大事なことは先人の知恵を、参考にはしても鵜呑みにはしないことだ。リスペクトを込めて疑い、自分なりに解釈し、実践し、反芻し、結論を出すことが大事だ。

まずは常識を疑ってみること。

 

 

 

俺めっちゃ良いこと言ったやんw

おわり